「明日やろう」は「バカ野郎」
- 2025年8月号 -
ずいぶん昔の月9である俳優さんが言っていた言葉
「明日やろう」は「バカ野郎」
明日どころか、「いつかやろう」と思いながらずっとやれていないことはないでしょうか?
大学を卒業し、気が付けば20年以上たちました。
大学時代の同級生はみんな同業者ということもあり、中・高の友達と違って学会や研修などでいつか会えると気軽に考えていました。
しかし、実際にはそんな簡単に会えるものではないですね。
特に開業してからは休みを取ることが難しく、学会や研修も当日に行って、その日のうちに戻ってくるという状態で、誰かと会うことや飲むことなど意外と難しい状態です。
母校のある北海道に関してもずいぶん昔に勤務医を探しに行ったきりで、その後行けていないのが現状です。
それでも「まぁ、今は子供も小さいし、いつか行けるかな」と思っていました。
そんなことを考えながら日々を過ごしていましたが、先日、大学の同級生が亡くなったと連絡を受けました。
「もう40代」、「まだ40代」、人によってとらえ方は異なると思いますが、私の中でまだ死というものを遠い先のものとしてとらえていました
闘病生活をしていること、あまり状態が良くないことを以前から聞いていましたが、亡くなったと聞いた時にあれだけショックを受けたということは、やはり「まだ40代、大丈夫だろう」という思いが頭の片隅にあったのだと思います。
「明日やろう」が「バカ野郎」ならば、「いつか会えるだろう」と考えている私は「大バカ野郎」なのだと気づかされました。
幸い、今年参加予定の学会の一つが札幌開催ということもあり久々の北海道、そして久々の同級生たちに会ってくる予定です。
いつか会えるではなく、少しずつ時間を作って会いに行きたいと思っています。